『若松軍艦防波堤物語』付録 資料ページ

内容に一部誤りがございました。お詫びして訂正いたします。
                     正誤表  本文P.28 四行目
                     誤:: 巡洋艦「利根」→×
                    正:: 巡洋艦「酒匂」→○

正誤訂正予告P29「各地の軍艦防波堤」には、かなり修正が必要なことがわかってきました。資料元と交渉を始め.
る予定です。わかり次第報告します。

書籍購入↑こちらから

昭和37年頃軍艦防波堤解体作業写真追加 2013-08-11

関連HP紹介

本文に盛り込めない資料をネット公開した。
著者と質問、感想などもやり取りできる。
是非ネットでご覧を!
検索キーワード「若松軍艦防波堤読本」
短縮アドレスp.tl/Evhz またはow.ly/mI0D1
短縮アドレスはhttp://不要
ミラー1
ow.ly/mI1YV
または
p.tl/c_M7

ミラーサイト

(上と同内容をの場所に保管してある。
万一1つのサーバーが壊れても、
他の無事な二カ所のミラーから閲覧可能
)

ミラー2

ow.ly/mI29W

または

p.tl/xbdA

                        ミラー3も 追加

リンク集の一部を紹介する。
●「軍艦防波堤2001年」(戦捜録ページ内)
軍艦防波堤研究の先駆者 望月氏のページ
著者が軍艦防波堤と出会うはるか以前から研究を継続されている。大変丁寧にわかりやすくまとめられており、軍艦防波堤初心者から研究者まで、第一番にお勧する必読ページ
●「若松軍艦防波堤」のホームページ。著者が1999年から作ってきた。
これが切っ掛けで、駆逐艦凉月元艦長平山敏夫氏の孫、澤章氏との往復書簡を交わした記録。
澤氏は凉月元乗組員、溝江美代次氏と運命の出会いを果たし、その数カ月後に溝江氏は亡くなられた。この出会いが、現在の軍艦防波堤連絡会の発端となる。
「軍艦防波堤関係資料」若松海友会 石橋良男氏提供

軍艦防波堤連絡会 公開資料
目次
・旧制佐世保中学の訓練で「柳」を体験した方が、思い出を同窓会で発表した文書
・駆逐艦「凉月」の思い出(太田五郎氏 著作)
・軍艦防波堤を語る会の前身「駆逐艦凉月元乗組員と語る会 」の発言記録
  出演 太田五郎氏、宮原明氏、澤章氏
・インタビュー 凉月について 対談 太田五郎さん、宮原明氏
・インタビュー 凉月について テレビインタビュー 溝江美代次氏
(太田五郎氏、宮原明氏、溝江美代次氏は、駆逐艦凉月元乗組員。
実際に大和を護衛し、沖縄沖から奇跡の生還を遂げた当事者。
澤章氏は、当時の凉月艦長・平山敏夫氏の実の孫)

国会議事録「連合國から防波堤用としてもらい受けた軍艦の埋設作業に関する緊急質問
国会会議録検索システム内へリンク 国会議事録 昭和23年6月26日 第002回国会 衆議院本会議 第71号 
日本自由党 菊池義郎議員
 当時国会での軍艦防波堤に対する姿勢が垣間見え興味深い。

●軍艦防波堤の設置直前
設置直後の航空写真(米軍撮影)
(国土交通省 国土変遷アーカイブ空中写真閲覧システム内へリンク)

軍艦防波堤上空から、小さく三艦の存在が確認できる。↓拡大方法
左下に隠れている「画像解像度200dpi」を選択→海の真ん中が表示されるので、右と下のスクロールバーで画像を移動させる→三艦とその周りの小舟がかなり詳細に視認できる。
万が一にも軍事転用されないかを監視したのだろうか?


○軍艦防波堤現地への詳細案内地図(地図は拡大出来ます)
訪問する方へご注意。現地は極めて風が強く、予期せぬ突風も襲う
「柳」は海の真横にあるため、突風で海に落ちたり、物を飛ばされたりしかねない。十分に用心されたい。


より大きな地図で 軍艦防波堤への道★迷い易いポイント● を表示


「軍艦防波堤連絡会」について軍艦防波堤連絡会ホームページ

軍艦防波堤連絡会の正体
キタルキストさんが、全く第三者の目で、会の活動の実像を記して下さいました。
キタルキストさんのブログへリンク。


○上記活動、軍艦防波堤を語る会(2013年)の報告書

○著者への連絡方法

以下工事中

日本各地の軍艦防波堤の中に出ている、

山口県コンクリート船防波堤・武智丸の写真集です。
 
また、その近辺のコンクリート船半没曳航油槽船についての記述も貴重です。


昭和37年頃軍艦防波堤解体工事中、解体作業を担ったクレーン船船長が保管していた写真資料
若松軍艦防波堤 昭和37年工事


※インターネット上で起こる問題に著者、出版社は一切責任を負わない。自己責任で実行されたい。