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妻と二人で大切に大切に世話をしました。
1998−08−25頃、我が家に舞い込みました。
1999−06−30、何ヶ月もの闘病の後、とうとう落鳥しました。
今は、近くの山で眠っています。今も胸がつめつけられます。
ぴぃちゃんというインコが、昨年の夏から先日まで私達夫婦の所にいました。
夫婦で大層いとおしんだ、可愛い、優しい、そして気の強い、でもどこか間の抜けた、
大切な家族でした。彼女が家に迷い込み、ほどなくして私は休職に入り、
私の休職が明けようとする先日、
彼女は私の元気が戻ったのを見越したかのように旅立っていきました。
この偶然の一致は、とても私に不思議な感覚を与えます。
彼女がわざわざ私達のうちに迷い込んできたことの意味が、
なにかとても大切な意味を伝えているようです。
私の休職が、何かとても大切な意味を持っているようです。
カメラをのぞき込みます
妻の肩で。頭が少し赤いのは、好物のいちごをくっつけちゃったんです。
この頃は、大分病状が進み、食欲が落ち、
だから好物のいちごを毎日のように妻は買ってきて食べさせました。
感想など、私に一筆書いていただくと、ぴぃちゃんもあの世で喜んでくれると思います。
ピイちゃんが眠るところです
2003-11-23 花を直接手向ける。
今日、何十年ぶりで故郷の山に登ってきました。
なかなかきついのぼりもあったけど、頂上は見晴らしもよく、持って行ったおにぎりがうまかった。
これで厳しい登りもできる自信が付いたせいもあってか、かわいいぴぃちゃんのお墓に、埋葬以来初めて、花を手向けることが出来ました。
それまでは、写真には写っていませんが、フェンスで仕切られていて、お墓の何十センチか手前に佇んで、ピイちゃんに話しかけていたものでした。その何十センチかを、何年も超えることができなくて、フェンスの手前に花を手向けていたこともありました。
今日、山に登れたのは、目的を持つことができたからでした。来年の夏、テレビで見た剣岳仙人池ヒュッテに行きたいという目的を持つことができたから、普段から山を歩いていようという気持ちになったのでした。そんな気持ちになれた翌日に、ぴぃちゃんの眠る場所に、直接花を手向けることができました。嬉しい日です。小さな転機の日でした。
手向けたもの。ススキ、黄色の葉っぱ、赤と黄色の烏瓜
ぴぃちゃんとの出会いと別れ
ぴぃちゃんが天国に旅立ってから、桜の木の根元に花と一緒に埋めたり、お世話になった動物病院の先生にあいさつに行ったりして、身辺が少し落ち着いた後、どうしてもし残したような気持ちがして、警察署に連絡をしました。何で警察に連絡したのか。それを話すにはそもそもどうして彼女が我が家に来たのかを説明しなくてはなりません。
ぴぃちゃんはもともと我が家に来たときは迷子だったのです。アパートの玄関にひょんとたたずんでいて、そのまま放っておくと、前の道で車にひかれたりしかねなかったから、とりあえず家に入れたのです。(妻が出した指に、自分からちょこんと乗ってきたのでした。今から思えば、ぴぃちゃんも不安だったのでしょう。自分から指に乗るのは、それ以来あまりありませんでした。)
風切り羽を無残にも切り取ってあるので、まともに飛べません。誰かが飼っていたことは歴然としていました。だから、この子は迷子だと思いました。だから一晩家に泊めて翌日警察署に連れて行きました。(確かその晩は何を食べさせるかわからず、パン屑しかあげられず、それもほとんど食べませんでした)
警察署では、遺失物として書類を作ってくれました。そのまま警察署に置いて帰り、警察の玄関を出る直前、ふと、何故か、何日か「落とし主」が現われるまで家で預かろうかという気持ちになりました。なぜそんな気持ちになったのか、自分でもよく分からないし、覚えていません。とにかく、警察署に預けるのではなく、家で何日か、警察からの連絡があるまで、家で預かろうと、ふと思ったのでした。
もちろん警察署の中に鳥籠なんか無いです。警察署では、「誰か警察官の家で飼えるかなぁ」という話を警官同士がしていたので、結局個人的な迷惑をかけてしまうのだとわかりました。
きっと落とし主が探しているだろう。きっと心配しているだろう。だから、近いうちに落とし主に返せるだろう。そう思ったのは覚えています。だからこそ、ぴぃちゃんの写真を撮って何枚も落とし主を探すポスターを作り、あちこちに貼らせてもらいました。駅やスーパーなど、あちこちに貼らせてもらいました。風切り羽を切られているから、まともに飛べない。だから近所に落とし主がいるはず。きっと連絡がある。そう思っていました。
でも、何日待っても落とし主からの連絡はなく、あれこれと世話を焼くうちに次第にかわいくなったのだと思います。妻と二人で話して、もうポスターを剥がして、この家で飼おうということにしました。
本格的に家で飼い始めて、我が家は大きな変化を迎えました。これについては、いつかまた書くときがあるかもしれません。
ま、そんなこんなで警察署の書類上は、ぴぃちゃんは、落とし主が現われるのを待っている「遺失物」の扱いだったわけです。
そのまま放っておいても、多分誰も警察署には探しに来ないことはわかっていました。でも、私は、誰かに「届け」を聞いてもらいたかったのでしょう。誰かにぴぃちゃんが生きてから死んでいったことを知ってもらいたかったのでしょう。自分とぴぃちゃんのことを、誰かに認めてほしかったのでしょう。
「私は青い迷子のインコを警察署に届けた者です。落とし主が現われたら返すという約束で、我が家で預かっていましたが、インコは病気で死んでしまい、落とし主が現われても、返すことができなくなりました。」そう私は話したことを記憶しています。相手の婦人警察官の方も、事務的にではなく、悲しそうな声で答えていただいたことを記憶しています。それが何だか救いだったので、こんなに何年もたってから思い出すのでしょう。
(記憶が曖昧なのですが、電話ではなく、直接警察に行って話したのかもしれません。覚えていません。)
これで、私達とぴぃちゃんとの関わりに、ピリオドが付けられた気持ちになったような記憶が残っています。
人だったら、死亡届か何かを役所に出すのでしょうが、警察署がその代わりをしてくれた気持ちがします。
最後まで、読んでいただき、ありがとうございました (いつかまた、ぴぃちゃんとの関わりについてなど、書き足す気持ちになることがあるかもしれません。)