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千年データベース計画
(パーソナル・デジタル・アーカイブ・プラン)

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百年後、インターネットの中にある膨大な情報は、あなたのホームページはいったいどうなっているでしょう。千年後、残る情報はあるのでしょうか。
何百年前の万葉の歌や、木簡の走り書きが残っていて、その中に私たちが価値を見出すように、
私たちのふとした思いの記録が、千年先のネットに残せたら素敵だと思いませんか。



私がしたいことを聞いてください。そして実現するにはどうしたら良いか、一緒に考えてください。(とりあえずのページです。)

いっしょに考えていただける方、掲示板を用意しました。クリックしてご意見、ご感想お聞かせください

それは、自分の書いた日記等の文書やソフトウェアを後世に残すことです。
「そんなもの、ネットにのせればそれで良いでのは?」と思いますか?

いいえ、問題はたくさんあります。
まず普通の個人のデータは、インターネットに保管する場合、大抵プロバイダーのコンピューターの中にそのデータがあるでしょう。そして肝心なことですがプロバイダーに毎月支払っている使用料が何らかの理由(死亡など)で払えなくなったとき、そのデータがどうなるかということです。
多分(これから調べますが)何年かはそのままほっておかれるでしょう。でも100年先、そして千年先の時代までは保管してはくれないでしょう。おそらくいつかは抹消されます。

私が作った文書やソフトがそれほど大した中身があるとは思えませんが、フロッピー何枚文にもなる膨大な量の日記を書いてきて、それが散逸するのが私はとても残念なのです。まるで自分の分身か子供のように思えるのです。何とかして後世に残したい。誰が読むかは知らないけれど、インターネットの中に公開しておけば、ある日、誰かがキーワードを使って検索して、私の日記に目を向ける人が出てくるかもしれない。

その日が来るまで、私のデータを保管してくれるところを探しています。方法を探しています。どなたかやり方を教えてください。

デジタルアーカイブなどのキーワードで検索すると、貴重な文化遺産を残す計画は進行しているようですが、「貴重」というほどでもない、ほんの個人的なつぶやきのようなものを残してくれる計画は聞きません。

個人が自分が書いた日記などのデータを後世に残したいと希望しても、現在のデジタルアーカイブの構想の中には、それを実現してくれそうなところがありません。
本にして残されるような大層な中身がなくとも、残すだけで後世の人にとって役に立つことがあるはずです。デジタル検索技術は、それを可能にしてくれます。

例えばお寺の永代供養のような感じで、ずっとずっとプロバイダーに使用料を払い続けてくれるところはないでしょうか。そのためのお金は前払いで支払います。
確実に100年後でも200年後でも支払い続けてくれるところをどなたかご一緒に探しだしませんか。  2001−03−02



この計画に興味を持たれた方、ご一緒に考えていただける方、

私への連絡は、ここをクリックして私にメール下さい。ここをクリックして掲示板にでも結構です。

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北国ブログのはなゆーさんを中心に
千年データベースが、ついに本格的に話題になりつつあります。
こちらです

その内容を、一部引用します。

千年後の「ちょっと安心」に向けて

私は、昔の人の作品や記録が残っている事実に、素直な感動を覚えます。
万葉集の中に、防人といわれる人達の書いた歌とかが、
今もちゃんと受け継がれて書き残されていること、
秦の始皇帝の時代の役所の記録が、竹に書かれた形で土に埋まっていて発掘されて読み解かれていること。

島崎丈太さんのページには、次のような言葉が載っています。島崎さん、勝手に引用してごめんなさい。

「島崎丈太 今日、衝撃を受けたのは、トルコ三大文明展に行って、ヒッタイトの粘土板に刻まれた楔形文字を見て来たんですが、4000年経過して、まだ読めるんですよ。 王妃が実家エジプトのラムセス王に「子供が出来ないんで懐妊しやすくなる薬送って」と頼んだ返事の粘土板、なんて解読されてる。 僕らの書いてるものって、何年後位まで残るんだろう?(残せるんだろう?)
warabie そういえば、洞窟に閉じ込められた壁画なんかもそれこそBCから残っていますよね・・・。(ちょっと主題から外れた話題ですが・・・)
http://www.kanshin.com/index.php3?mode=keyword&id=314174
」引用終わり。

江戸時代だかある日に起きた地震の「記録」がなくて、現代の地震を研究している学者が困り果てた末に見つけ出したのが、お寺の過去帳だったとの事。いろいろな地域のお寺の過去帳を、ある特定の日時に限定して丹念に調査していったところが、ある特定の日時に、膨大な数の葬式が、広い地域でほぼ同時に行われたことがわかったとの事。つまり、その特定の日時に膨大な数の人が亡くなられたということ。すなわちその日に、巨大災害、おそらくは地震があったのだろうと推測が成り立ったとのこと。
過去帳ってすごい力も持っているんだ、学術的価値があるんだと私は感心しました。

このように、私は「書いた物が残る」ことに深く関心を持っています。それが、墓という意味を持つかどうかは、今まで考えたことがありませんでした。万葉集の一句なんて、誰も墓だとは思わないでしょう。墓という意味を持たせるかどうかは抜きにして、私は自分の著作を後世に残したい。そう強く望んでいます。その方法を一緒に探る方を求めています。
電子文字と検索エンジンが発明された今、膨大な情報の中から、ほんの一語を探す技術ができているのですから、今からの時代なら、「書いたものを残す」意味と技術が万人にあると思うのです。
ただの空想ですけど、例えば私は今、睡眠障害に悩んでいます。何年も悩み続けてきました。眠れなくて困っている人は、千年後にはいるでしょうか。
例えば私はずいぶんと昔、好きだった女の子に、何一言口をきけなくて、オドオドして苦しんでいました。千年後に、恋の悩みを持つ若者も、きっといるでしょう。
そんな人たちが千年後、次のようなキーワードで検索エンジンをかけるとどうなるでしょう。
「眠れない」「好きなのに言い出せない」
もちろん技術は進み、似たような意味や言い回し、ニュアンスまでも含めて検索してくれることでしょう。言語の違いまで含めて検索してくれるでしょう。
彼らは、千年前の私の書いた日記の中から、同じように悩んだ千年前の一人の男の存在を知ってくれるでしょう。そして、「何だ、自分だけが一人悩んでいたんじゃないんだ。千年前から同じように悩んでいた人がいたんだ。」と、ちょっとだけ安心してくれるかもしれません。
私は、その「ちょっとだけ安心」を千年後に残したい。
そして、今の技術なら、決してそれは夢物語ではないと思います。かつての鉛活字の時代では、残る文章は極めて限られた、選ばれた人達のものでしかありませんでした。
ただ、何に残すかという「媒体」の問題はあります。例えばこの北国ブログは、百年後、何の中に残されているでしょう。今の所、古い物から順に削除する予定ではないと聞きましたが。その問題も、私のページで今後色々な人々と語りあえたらと願っています。

2003-11-24 記す


2001年03月03日
●なぜ私が自分の文章を残したいのか
まず、私は日記をここ10年ほどワープロでかいています。
フロッピーに何枚分も貯まりまして、大切に大切に保管してます。
時には昔書いたことを取り出して読んでいます。一つの大切な作品と思っています。
私の分身みたいなものです。
学生のレポートを「ほとんど芸術ですね。もったいないなあ。この250部のレポート」と言ってくれるXXさんなら、わかっていただけるでしょうか、この日記をもったいないなぁと思う気持ち。(レポートを千年後に誰かが読んだら・・・)
そんなわけで、日記を千年後の人達が見てくれたら、きっと面白がってくれないかな、と思うわけです。

また、私はホームページに軍艦防波堤のことを書き記しています。このホームページ、現在の人達だけでなくて、自分の死後も色んな人に見てほしいなと思います。
私は本を書いたことはありませんが、本という奴はきっと今の時代のたくさんの人に見せたいからだけでなくて、後世にも残したいから書くのではないでしょうか。
私のホームページも、同様に後世に遺したいと願っています。日記も同じです。(死んでから見られるなら、自分はいないから恥ずかしくもないでしょうし。)

私の日記は貴重なデータなんかではありません。でも、千年後に、たったの一人「これは面白い」と言う人がいれば、それでいい。
(日記は死後ホームページに載るように手続きしたいです。)

でも、ホームページはいつまで保存されているのか。きっと毎月の使用料の支払いができなくなったら何十年か後には消されるのではないでしょうか。

今ある膨大なホームページを残したい。お上のデータベースではなく
ところで、今日、全国各地のデジタルアーカイブ構想を
検索エンジンで探して斜め読みしてみました。
御大層な「貴重な文化遺産」をデジタル化して残す動きはあっても、「ユーザーに情報を与えてあげよう」という旧来の図書館的発想から抜け出たものは見つかりません。
図書館、書庫(アーカイブ)を利用する「ユーザーの発信する情報」を取り込んで残していこうとするものではないのです。
私の探したかぎり、ユーザーは情報を受け取るだけみたいです。
「個人のつぶやき」みたいな日記やホームページを残してやろうなどという動きは見つかりませんでした。
検索エンジンを使ってインターネットを検索すると、個人が発信した情報が山のようにあります。何十年後かには、消されてしまうだろうこの膨大な情報を、希望するものはそのまま残してやろうとする、そんなことを私は望んでいるのです。
万葉集に防人の詠んだ歌とか、読み人知らずの歌とかがあります。
これは当時の人々の、「個人のつぶやき」だったのでしょうか。
現代ならお上から「勅撰和歌集」だなんて選んでいただかなくても、インターネットに千年残す方法が模索できないでしょうか。
自分のホームページをそのまま残していくことに、力を貸してくれるところを捜しています。
お上や図書館が「データベースでござい!」って整理しなくても、検索エンジンは世界中のデータからキーワードに一致する情報を探してくれる。今ある膨大なホームページをそのまま残せたら・・・そう思います。
国や国立、公立の図書館が残してくれたらいいでしょうか?
できれば国家などという移ろいやすい力に頼るのでなくて、もっと長く続く力を求めてたりします。

鎌倉、江戸幕府がつぶれても、例えばお寺の過去帳は残ってきました。
こんな具合に、時代を超えて残るデータベースを私は望んでいます。 2001−03−03


最後まで読んでくださり感謝です。おいおい読みやすく変えますので今のところご容赦ください。



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